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4姉弟のハハ日記

1997年生1娘、2000年生2娘、2002年生3娘、2005年生4太の過去日記

2004年9月22日1娘:学校公開2回目

小1の1娘の学校公開がありました。

各学期ごとに年に3回あります。


春は入学後初めてだったので本当に落ち着きが無く、
これでも小学生?と呆れたものでした。

夏休みが間に入ったとはいえ、入学から半年。

さすがにみんな机に向かって授業を受けてました。

教室から出て行く子はいませんでしたが、
母親のそばに話をしに来る子はいました。


少し落ち着いたせいなのか、
春は全員が意欲的に手を上げてうるさいくらいだったのですが、
今回は挙手も少なく、発表の声も小さかったです。

授業がつまらないという感じに見えました。


授業は1時限道徳、2時限国語、3時限お誕生日会。

道徳は、怖いイメージのおおかみの子どもも
他の動物と同じように友達が欲しいという内容のビデオ絵本 を見て、
外見で相手を判断しないとか相手との相互理解について学ぶというもの。

国語は詩の朗読。

お誕生日会は友達を祝う気持ちやゲーム発表などで、
コミュ ニケーション力を養うのが目的とか。


でも例えば道徳。

「1場面を見てどう思ったか」と端的な感想は答えられても
「だからどうしたほうがいい」というように考えを展開していくことは
まだ難しい様子でした。

また、みんなで話し合って考えるということもまだ出来ない。

議論する技術を知りませんから。


それに45分間の授業は小1には集中力が続かないほど長いけど、
先生が答えを導いて話を進めないと、
最後の結論までたどり着かないくらい短い時間でもあるのです。

結局、先生が「こうだよね」と導く答えを黒板に書き、
それを子どもはプリントに書き写すという授業。

とてもやらされているように見えて「自分で考える」とは程遠い風景に見えました。


こんなんで道徳が身につくの?と疑問に感じましたが、
別のママからこんな意見も。

「子ども自身がまだ考える力が弱いのだから、
たとえ導きであっても『この場面ではこうした方がいい』と
知ることは意味があると思う」なるほど。


コミュニケーション力の不足が叫ばれる子ども達。

でも大人も同じだと思う。

大人も子どもも時間も心も余裕が無くて、
圧倒的に他者と関わる頻度や密度が薄い気がします。


昔なら、地域のふれあいや子ども達の集団遊びを通して
たくさんの人と触合い、いろんな経験を積み重ねていったのでしょう。

今は経験不足を補うため、学校で知識としてコミュニケーションを学ぶのですね。